2014年12月31日水曜日

あけましておめでとうございます。



                               藍白地黄返小桜染革威鎧 
                                                (公財)宇和島伊達文化保存会蔵
 
 
平成27年1月4日(日)より開館いたします。

平成27年前期展

「宇和島伊達家 はじまりの物語」 

 

昨年同様、今年もよろしくお願いいたします。
 
 
 
 ※  藍白地黄返小桜染革威鎧   伊達宗紀所用 1領 (宇和島市指定有形文化財)
 
 宇和島藩第7代宗紀(むねただ、1792~1889)の所用である。春日大社に奉納されている御神宝とされる鎧(鎌倉時代作「赤糸威鎧」、現在は国宝である)を模本として、天保10年(1839)徳川将軍家お抱え甲冑師岩井の手によってつくられたものである。このため、別名を春日野鎧(かすがのよろい)と称されている。竹に雀の装飾金物を打っている。兜は宗永の作になると伝えられる。この二十二間星兜鉢には前立として、大鍬方を使用し、その中央の祓立(はらいだて)に瓢箪をひとつかざしている。瓢は秀吉の馬印(うまじるし)とされている千成瓢の一つを入手したものと記録されている。祓立には「春日」の文字が見える。

2014年12月28日日曜日

平成27年前期展 「宇和島伊達家はじまりの物語」  ご案内

 

 1月4日(日)より平成27年前期展『宇和島伊達家はじまりの物語』 
を開始します。大勢の皆様のお越しをお待ち申し上げます。  
 
 
2015年は宇和島に伊達家が初入国してからちょうど400年という節目 
の年でもあります。藩祖秀宗を主人公に見立て、幼少時から藩主としての治 
世までをストーリー仕立てに紹介していきます。加えて、伊達家の名品の中 
からは詩歌管弦、囲碁将棋、香道具などの娯楽や遊びにまつわる道具を中心 
に雅な大名家の暮らしぶりを伝えていきます。
       
1 期間:平成27年1月4()~6月14()  
 
2 展示内容   
 
第1展示室 「秀宗の生立ちから宇和島初入国まで」
 
 戦国武将伊達政宗の長男として生まれた秀宗。豊臣家の人質として暮らした京都での幼少期の資料や、大坂冬の陣後に秀宗が宇和郡10万石を拝領した経緯を記した資料を中心に紹介します。また藩祖秀宗が宇和島に初入国する際に、父政宗から送られた藩主としての心構えを説いたや、宇和島までの道中を気遣う様子がつづられた手紙など、藩主となる息子に対する政宗の心遣いがしのばれる資料も紹介します。
 
第2展示室 「秀宗の治世、藩主としての務めと教養の深さ」
 
 1615年より、秀宗は藩主としての手腕を奮っていきます。ここでは、徳川将軍家から拝領した資料を中心に、朝廷との交流も伺える資料を紹介します。加えて政宗が秀宗に藩主として学問などの教養も身につけるよう説いており、その様子を伺うことのできる秀宗の和歌や政宗からの書状も紹介し、宇和島に来てからの政宗と秀宗の交流の様子も伝えていきます。
 
第3展示室 「伊達家の娯楽」
 
 宇和島伊達家には特に近世蒔絵の調度が多く伝来しますが、その中から詩歌管弦、囲碁・将棋・香道具などの娯楽や遊びなどに使用する資料やおひな様などの年中行事にまつわる資料などにスポットを当て、大名家の雅な生活の一場面を紹介します。
 
 
 
※会期中「宇和島伊達400年祭」の「春・秋の特別展」、「夏の企画展」を開催します。その間は展示内容が一部変更になります。

2014年12月12日金曜日

ANA誘遊四国ツアーのお客様が来ていただきました。

師走を迎え、いよいよ冬です。宇和島地方も、先週は雪に見舞われました。普段は暖かい四国地方ですが、四国中央市から徳島県三好市にかけて時ならぬ大雪のため、孤立する集落が多く出て被害に遭われた方も大勢いらっしゃいます。心からお悔やみ申し上げます。
 
昨年から訪れていただいている、ANA誘遊四国ツアーの団体客の皆さんが先日から訪れていただいています。3月中中までの4ヶ月間、心のこもったおもてなしで宇和島の旅を楽しんでいただきたいと考えています。12月1日には宇和島市内のあちこちで来年の「宇和島伊達400年祭」に向けて幟を立てました。伊達博物館もたくさんの幟を立ててお客様をお迎えしています。
 
 


 



 
 

入館いただいたすべての方に、来年の「宇和島伊達400年祭」にも宇和島市を訪れていただけるよう心を込めてお接待をしたいと思います。大勢の皆様のご来館をお待ち申し上げております。

 

2014年10月22日水曜日

後期展を再開しました。

好評のうちに開館40周年記念特別展「天下の伊達 -武将のモードと文化 大徳寺・高台寺の名品を中心に」が終了しました。会期中は大勢の皆様が博物館を訪れていただき、誠にありがとうございました。引き続いて後期展「モード★伊達 ~おしゃれ大名のよそおい~」を再開します。多数の皆様の来館をお待ちしております。 


        

       平成26年後期展 祝 開館40周年記念

      「モード★伊達 ~おしゃれ大名のよそおい~」
 
    期間:平成26年10月18日(土)~12月24日(水)


 
天正19(1591)年3月、朝鮮出兵のため京都を発つ伊達政宗の軍勢に人々は驚嘆しました。彼らの装いは、紺と黒を基調に金色・銀色を随所に使い、さらには豹の皮・孔雀の羽根などもあしらった華麗なものでした。その「伊達」な装いは語り継がれ、以降、伊達家はセンスのよい家中として知られるようになりました。
 

 その政宗の長男秀宗から始まる宇和島伊達家には「伊達」の名にふさわしい重厚で華麗な装いに関する品々が伝来しています。今回の展示では、宇和島市立伊達博物館の開館40周年を迎えたことを記念して、館の名称でもある「伊達」にちなみ、宇和島伊達家に関する大名家の「伊達」な装いを紹介します。
 
 

 第1展示室 男の装身具 ~藩主のよそおい~

宇和島伊達家の藩主が身に付けた武装具、衣装や装身具を展示して、宇和島伊達家の藩主の装いを紹介します。

 第2展示室 女の装身具 ~姫のよそおい~

宇和島伊達家の女性たちが身に付けた衣装や簪(かんざし)などの装身具、懐剣・薙刀(なぎなた)などの武具、さらに香道具や和歌などを展示して、宇和島伊達家の姫の装いと教養を紹介します。

 第3展示室 メイキャップ★モード ~近世蒔絵の化粧道具~

宇和島伊達家に嫁いできた夫人たちが持参した化粧道具を展示し、大名家の姫の部屋を彷彿とさせる空間を紹介します。
※第4展示室では、企画展「伊達家の祈り」を同時開催中です。

2014年10月11日土曜日

鑑賞茶会の延期について(お知らせ)


     鑑賞茶会の延期について
 
 
 茶会の参加証をお送りしている皆様にお知らせします
 
来る13日(月)に予定しておりました開館40周年記念特別展イベント「手に触れる特別鑑賞茶会」ですが、台風19号の接近により、会場での安全面や交通機関の乱れ等、混乱が予想されますので、やむを得ず開催の期日を延期することに決定しました。
 
開催期日は 11月9日(日) です。
 
 ※出陳品について、一部変更がありますがご了承ください。
 
鑑賞茶会の参加証をお送りしている皆様にあらためて御案内を差し上げますので、お手数をおかけしますが、再度、伊達博物館までお申し込みいただきますようお願いいたします。
 
当日は、伊達博物館の特別展は終了しておりますが、常設展示「モード伊達★ ~おしゃれ大名のよそおい~」(要入館料)をご覧いただけます。また11月8日(土)~9日(日)まで、南予文化会館にて「パールフェステイバル in うわじま2014」が開かれております。また11月9日(日)には、きさいや広場を中心に「宇和島市産業まつり」「じゃこ天カーニバル」が開かれます。ぜひ、そちらにもお寄りください。
 なお、茶会の延期につきまして同伴される皆様にもお伝えいただきますようお願いいたします。
 
 
 
       申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。
 
 
 
 
 
 
 

2014年10月2日木曜日

開館40周年記念特別展 「天下の伊達 -武将のモードと文化- 」 ご紹介

  

 会 期:平成26年 9月 6日(土)~10月13日(月)

 開館時間:午前9時~午後5時 *入館は午後4時30分まで
            

宇和島市立伊達博物館開館40周年記念特別展 「天下の伊達 -武将のモードと文化- 」 展示期間も残すところ10日余りとなりました。連日大勢のお客様に来ていただいております。心から感謝申し上げます。

さて10月4日からは、展示の一部が新しくなります。

国の重要文化財である「豊臣秀吉像」を入れ替えます。現在、展示中の西教寺所蔵「豊臣秀吉像」(玄甫霊三:げんぽれいざん、惟杏永哲賛:いきょうえいてつさん)に代わって、高台寺所蔵「豊臣秀吉像」(南化玄興賛:なんかげんこうさん)になります。いずれも国の重要文化財指定を受けている美術品です。ぜひ伊達文化保存会蔵の重要文化財「豊臣秀吉像」と併せてご覧ください。国内で5点の重要文化財指定を受けた「豊臣秀吉像」がありますが、そのうちの3点を鑑賞できる貴重な機会です。すでにご覧いただいている方も再度のご来館をお待ち申しあげます。今回は、展示品のなかから特に見ていただきたい美術品についてご紹介します。



 

 

 

 

 

 

 

 


「豊臣秀吉像」 西笑承兌賛(さいしょうじょうたいさん) 宇和島伊達文化保存会蔵



 
「豊臣秀吉像」(玄甫霊三:げんぽれいざん、惟杏永哲賛:いきょうえいてつさん) 西教寺蔵
  (展示期間 9/6~10/3)




           「豊臣秀吉像」(南化玄興賛:なんかげんこうさん)  高台寺蔵
           (展示期間 10/4~10/13)

 


 
 「織田信長像」(狩野永徳筆)  大徳寺蔵
 
 


                 豊臣秀頼書 「豊国大明神」 御神号  大徳寺蔵




             黒樂茶碗 銘 面影(おもかげ) 樂家初代長次郎作  樂美術館蔵





                   「赤樂井戸形茶碗」 樂家二代常慶作   樂美術館蔵
 




             「香炉釉獅子香炉」(こうろゆうししこうろ) 樂家二代常慶作  樂美術館蔵

                
 
 
 


「山水図襖」 長谷川等伯筆  樂美術館蔵 
 
 

2014年9月23日火曜日

あつまれ DATEキッズ  ~サムライモード~

9月23日(水)秋分の日、秋の特別展の第2回目イベントとして「あつまれ DATEキッズ ~サムライモード~」が開かれました。
 
安土・桃山から江戸期のはじめにかけての、武将のモードについて学びました。当日は小学生、中学生、高校生らがあつまり、伊達博物館の特別展「天下の伊達 -武将のモードと文化-」を観覧したあと、天赦園の茶室で塗り絵、お香体験をしました。 
 
 


伊達男とは、人目を引く、しゃれた身なりの男。おしゃれな、という意味があると言われます。男だてとは、おとこらしくあるいは勇敢に振る舞うことと言われていました。伊達政宗公をはじめその家来たちが、そろいの鎧(よろい)や甲冑(かっちゅう)で戦(いくさ)に臨んだのが、おしゃれだったので「男伊達」(おとこだて)とか「伊達男」(だておとこ)などという言葉ができたとか!

奇抜な戦法を好んだ伊達政宗は、ファッシヨンセンスも際立っていました。豪華な黒漆塗りの甲冑に大きな三日月型の前立てがついた兜をまとった姿は,トレードマークにもなっています。



    

2014年9月22日月曜日

「 平成28年は英艦隊来航150周年です。」 公開講演会のお知らせ  (入場無料)

 

  
 

西南歴史研究会宇和島支部は、英艦・パークス来航について研究を重ねてきましたが、その成果を発表するにあたって、一般市民の方々にも見ていただきたいと考えました。ふるってご参加ください。参加料などは無料ですが、駐車場がありませんのでご注意ください。 

慶応2年6月24日(1866年8月4日)、英国極東艦隊旗艦である世界最大級の戦艦・プリンセス・ロイヤル号など3隻が宇和島に入港しました。まさに大事件です。 


来航の本当の目的は何か

宇和島藩との密約はあったのか

藩はどのような受け入れをしたのか

幕府はどのような態度であったのか

宗城公は何を考えていたのか

 


などなど、再来年の来航150周年を迎えるに先立って、宇和島に遺された関係史料をもとに考えてみようではありませんか。新しい歴史の考え方が生まれるかも知れません。 

今回は、伊達家伝来の書翰類・英国軍隊受け入れの準備書面・恵美須山と樺崎の砲台絵図・伊達家御殿絵図・サラミス軍艦旗、プリンセス・ロイヤルの水彩画(写真)・航海日誌(写)、宇和島湾古海図(写)、旧宇和島湾の油絵等々、多数の未公開資料を間近から見てもらうよう展示してあります。

 

1 日時  平成26年10月11日(土)  午前9時30分から 


2 場所  宇和島生涯学習センター(宇和島市立中央図書館)  3階大ホール


3 日程     

     9:30~  受付開始   受付後展示資料を見学 

    10:30~  開会行事 

    10:40~12:00  講演 「英国軍艦宇和島来航の歴史的意義」

                 講師  近藤俊文(宇和島歴史文化研究会会長)

 

    13:00~13:30  樺崎砲台跡見学  解説 犬飼徹夫 

                               (愛媛考古学会顧問) 

(ご注意)

※樺崎見学は西南四国歴史文化研究会員には車を用意してありますが、一般市民の見学希望者は各自の方法で現地へ13:00までにご参集ください。

※見学をしない方は、午後も展示資料の見学をすることができます。ただし時間は13:00までです。


2014年9月12日金曜日

特別展イベント情報 「ワークショップ ~メイキャップモード」開催

9月7日(日)15時から、天赦園において、特別展「天下の伊達 -武将のモードと文化ー」に関するイベント「ワークショップ ~メイキャップモード」が開催されました。

これは、今回の特別展テーマの一つである「江戸時代の女性の化粧」に視点をあてた企画です。現在、伊達博物館に展示中の江戸時代の女性の化粧道具類や、お化粧についての考え方、たしなみ、彩りなどに関する美術品をを見学した後、天赦園にて講座が開かれ大勢の女性(子どもから大人の女性まで)の皆さんが参加しました。講師はお香の講座でおなじみの山中瑞穂さんです。
 
 
江戸時代からの女性のお化粧道具は鏡をはじめ様々です。大変美しいものばかりです。
 


機能美(?)というか、使う女性の気持ちを考えた道具だと思います。
 
◎江戸時代の化粧は3色(赤・白・黒)のみ。
  
赤・・・紅/口紅・頬紅・目弾(めはじき)・爪紅(つまべに) 
    → 「古より顔とくちびるに紅を付つくることは女の粧なり」(『安斎随筆』)
       「紅はうすらかに顔の色をよそほふもの」(『安斎随筆』)
 
白・・・白粉 → 「女と生まれては一日もおしろいを塗らず顔に有るべからず」(『女重宝記』)
 
黒・・・眉墨・お歯黒 → 「歯なみ(並)よき人は口元よし、美人の相なり」(『女用訓蒙図彙』)
       「眉毛の作り方色々あれども顔の格好によりて作り方かわれり」(『都風俗化粧伝』) 
 
 大勢の聴講生でした。

      「べにばな」を乾燥したもの




 
◎赤(紅)の化粧
 
・頬紅・・・ 白粉に紅を混ぜて頬紅として使用。頬紅は薄く淡くさすことが好まれ、濃いのは下品とされた。
 
※頬紅の流行り廃り  頬紅が流行したのは、江戸時代前期。享保(1716~35)の頃より徐々に  廃れていく。 → 遊女の化粧と関連。
 
※くすみ防止のための頬紅(下紅)    地肌そのものを明るく見せるために、下地として紅を用いることもあった = 現在のベースメイク、コントロールカラーに相当。
 
・口紅・・・頬紅同様、薄付きが基本。小さな口(おちょぼ口)が好まれたため、唇の輪郭を白粉で隠し、唇を小さく見せる工夫が行われた。
 
※紅を「さす」=点す  →紅を少量、唇にのせ、小さく控えめに飾った。
 
※笹 ささ 紅 紅の流行(文化・文政期 1806~29)  
 
笹紅 = 下唇に紅を重ね付けし、玉虫色(笹色)にする化粧法。一世を風靡した紅化粧。 → 庶民が墨を使った裏技を考案、疑似笹紅化粧。「女の口紅笹色なるは一付け三十文」
 
 
おそるおそるでしたが昔の鏡に触りました。 
 

紅をとくとこのようなきれいな玉虫色になるそうです。赤い色がこのように変化しています。
 
 
・目弾き(めはじき)・・・目の縁や周辺に紅を付ける、現在のアイメイクに相当。役者の舞台化粧から派生したもの。それを町方の女中が真似たことに始まり、次第に広まっていったとされる。
 
※紅点し指  薬指の別称。薬指に紅をとってのせたり、紅を伸ばしたりした。
 
・爪紅(つまべに)・・・現在のネイルアートに相当。本来は身分の高い人の化粧だった。爪全体を赤く塗るのではなく、つま先に点状(ドット)の模様を描くようにして紅をのせた。
 
※紅のほかに、ホウセンカやカタバミで爪紅を施す。
 
 
 皆さん、熱心に聞いておられました。
 







 
◎白
白粉・・・京白粉(はふに又は唐の土→鉛白が原料)・・・・・塗り上がりは美しいが毒性を持つ。
 
伊勢白粉(御所白粉又はハラヤ→水銀(みずがね)が原料)
江戸中頃からは、生白粉・唐の土の3種となる。
 
※粉白粉・水白粉・練白粉
 
◎黒
「お歯黒をして半元服(結婚?)、眉と落として本元服(出産?)」
 
眉墨・・・眉を剃ってから眉墨(青黒い土・松煙墨)で様々に描く。公卿、武士にも広まる。
 
※捏墨は紫草の花の黒焼・油煙・金粉をごま油で練る。 → 堂上夫人
   麦の黒穂・油煙・墨、
 
お歯黒・・・鉄ね(かね)(鉄片と酢や酒で造る液)を火にかけて沸かし羽楊枝に五倍子末をつけて塗抹した後口を漱ぐ。 → ひどい様になるので家人にみられぬようにした!
 
※京の公卿の風習に染まった武士(平氏など)は薄化粧・お歯黒
 
※黒という色は、変色しない → 二君に仕えず・両夫に仕えない貞操


今日のワークショップは短い時間でしたが、江戸時代の化粧について体験した皆さんは満足されていたようです。当時のお化粧道具など、開催中の伊達博物館40周年記念特別展「天下の伊達 -武将のモードと文化-」にて展示中ですので、皆様ぜひ足を運んでください。なお、このワークショップの模様はNHKテレビ夕方のニュース610(ろくいちまる)でも放映されました。

開館40周年記念特別展 「天下の伊達 -武将のモードと文化 大徳寺・高台寺の名品を中心に-」

 9月5日(金)午後3時から、平成26年度特別展・開館40周年記念特別展の開展式及び内覧会を行いました。当日は京都大徳寺や高台寺、大津市の西教寺からもご来賓にお越しいただきました。厳粛な中にも華やかな開展式の様子をお知らせします。

60余名のご出席をいただき、エントランスホールで開会式を行いました。
 
  
 主催者を代表して、石橋寛久宇和島市長のあいさつで開会しました。
 


宇和島伊達文化保存会理事長・宇和島伊達家第13代当主伊達宗信様よりごあいさつをいただきました。 

 
     大徳寺宗務総長 戸田実山様よりご祝辞をいただきました。 
  

高台寺執事・圓徳院 後藤正晃章様よりご祝辞をいただきました。
 

             芳心会木村事務所木村宗慎様よりご祝辞をいただきました。




引き続いてテープカットを行いました。 続いての内覧会では、今回の特別展を担当した伊達博物館学芸員が今回の特別展のねらい、見ていただきたい点などについて詳細に説明を行いました。次回から展示の様子についてご紹介していきたいと思います。
 

2014年8月20日水曜日

平成26年度特別展・開館40周年記念特別展のご案内

   



         会 期:平成26年 9月 6日(土)~10月13日(月)


         開館時間:午前9時~午後5時 *入館は午後4時30分まで

 

         休 館 日:月曜日

         ※ 月曜日が祝祭日の場合は月曜開館、火曜日休館


              ※ 但し9月22日(月)は開館し、9月24日(水)は臨時休館いたします。


   


このたび、大徳寺、高台寺、樂家、樂美術館、西教寺ほか各所蔵者の皆様のご協力のもと、宇和島市立伊達博物館開館40周年記念特別展『天下の伊達 -武将のモードと文化 大徳寺・高台寺の名宝を中心に-』を開催する運びとなりました。

当博物館は、江戸期に入封後、幕末まで一度も領地替することなくこの地を治めた宇和島伊達家の伝来品を中心に展示を行う登録博物館であり、宇和島市政50周年事業の一環として、昭和49年に開館しました。今回40周年という記念の年に当たり、館の名称にもなっている「伊達」を前面に出した華麗な武将の「伊達と粋」をうかがわせる多数の名品の展示を企画しました。桃山期から江戸期にかけての武将のモードと文化に焦点をあて、織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗など戦国期の武将に好まれた流麗かつ華美なモードを中心に、名宝の数々をご紹介します。多数の皆様のご来館をお待ちしております。



 


      宇和島市立伊達博物館特別展・開館40周年記念特別展

 

                『 天下の伊達 』

 

       武将のモードと文化 -大徳寺・高台寺の名宝を中心に-

2014年8月6日水曜日

天赦公園発掘調査現地説明会に参加しました。

7月20日(日)午前9時から、宇和島市教育委員会文化課による「天赦公園発掘調査現地説明会」が行われました。真夏の太陽がじりじりと照りつけるなか、大勢の市民の皆さんが参加していました。いまさらながら、ふるさと宇和島の歴史について、興味を持っている人が多いことを感じました。当日の配付資料をもとに、説明会の内容についてご報告します。
 
◆調査の概要
宇和島市天赦公園の配水管敷設工事に先立つ発掘調査において、宇和島藩主の御殿「御浜御殿」に関わる建物跡(土塀)を確認しました。今年1月の馬屋跡の調査に続いて、藩主御殿内の施設が発掘調査によって明らかとなりました。
 
調査地:宇和島市天赦公園  土地面積:1790平方メートル 調査面積:約60平方メートル
 
◆調査の経緯
平成25年度   国道拡幅工事に伴う市排水管移設工事について協議。県教委への届出を行い、発掘調査の勧告を受ける。
 
平成26年2・3月  国道拡幅工事分について県教委が試掘調査を実施。発掘調査の勧告を受ける。
      4・5月  愛媛県埋蔵文化センターによる発掘調査。土塀跡を確認。
 
        7月  宇和島市教育委員会による発掘調査。県埋蔵文化センターの調査で確認した              土地の延長を確認。
 

 
 
◆御浜御殿について
今回の調査地は御浜御殿のほぼ中央に位置しています。御殿内の区画は宇和島城側に政庁である御殿建物があり、西側及び南側は庭園及び隠居用の屋敷などの藩主のプライベート空間となっていました。今回の土塀は政庁部分と庭園部分を区画するものと考えられます。
 


 
◆御浜御殿の土地利用の変遷
御浜御殿は、明治維新以降7代藩主宗紀公の隠居所であった天赦園等の一部の施設を除いて、藩主の居館としての性格を失いました。御殿の中央には東西に走る道路ができ、特に庭園部分は水田となっていました。大正9年には豊後橋の南にあった宇和島中学が庭園部分北半部に移転し、昭和37年以降の国道56号線の整備、昭和42年の公園整備を経て現在の形となったようです。水田だった頃の当時の古写真によると、水田と道路の間に三角形の区画が確認できます。土塀礎石はあぜ道のような状況だったと考えられます。



 
◆調査によって確認された遺構
土塀跡  検出長:約50m  幅:約1m 最大高:約50cm
基礎は砂岩・礫岩の割石と自然石が混じり、1~2段積まれていました。矢穴(石を割るときのくさびの跡)の大きさは幅5cm程度であるため、江戸後期のものと推定できます。
 
側溝石列  検出長:40m  幅:20cm弱  最大高:約40cm
土塀基礎に比べて小型の砂岩石割が並んでいます。石の辺ではなく角を下にした積み方は明治以降のものと推定できます。
 
その他  土塀礎石を被覆する土はガラス片等を含み、出土した陶磁器も近現代のものがほとんどであったことから、グランド整備時の造成土と考えられます。
 



 
 
◆出土遺物
瓦、陶磁器等コンテナ1箱相当。
出土遺物のほとんどは近代以降の陶磁器でした。なかには伊達家の家紋である九曜紋の軒丸瓦、高級品である江戸期の色絵皿等も出土しました。また、近代資料のなかにも伊達家の家紋である「竹に雀」紋の小杯があり、注目される資料です。
 

 

 
◆今回の調査成果について
御浜御殿の姿がわかるものは、国指定名勝天赦園と伊達博物館の庭にある偕楽園以外には残っていません。そのため、御殿内部の遺構の位置などを推測することは資料が少なく困難でした。今回の調査で絵図と照合できる遺構が発見できたことは非常に大きな成果です。残念ながら今回発見した土塀の基礎は工事によりなくなってしまいますが、成果については天赦公園内に看板を立てて市民の皆様へお伝えする予定です。