2013年6月30日日曜日

「伊達な小咄」 連載開始!  

  宇和島市広報7月号から「伊達な小咄」の連載を開始しました。これは、当館の学芸員が歴史資料館講座で調べた郷土や伊達家のことに関する内容を、広報読者向けに分かりやすく紹介することをねらいとしています。

 また地元出身の漫画家オカザキヒトミ氏の4コママンガも紹介し、低年齢層から大人まで幅広い年齢層に宇和島藩伊達家に興味を持っていただける内容を目指しています。

 今回の7月号から隔月掲載で3月号まで5回を予定しています。このブログでも紹介していきますので、ご期待ください。


(宇和島市広報7月号の内容)


伊達な小咄(こばなし)
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  明治22(1889)年5月1日、宇和島中を賑(にぎ)わせる祝宴が開催されました。これは宇和島伊達家7代藩主宗紀(むねただ)の百歳祝のもので、数日間続いたようです。
 その内容は、能・狂言などの伝統芸能や、現在でもお馴染みの花火や手品、神楽、子どもの舞、闘牛、茶席や書画展などと記録されています。また、市中には各家や自治体などで分担して、堤燈(ちょうちん)、フラフ(旗)、短冊などを飾り、市民総出で大いに盛り上がったようです。参列者は、血縁者・旧藩士など、その数は数千人とも。祝いの品では明治天皇から銀杯、昭憲皇太后から羽二重などが贈られるなど、天皇や皇族からも祝福された様子が伺えます。
 宗紀はこのような盛大な祝宴に対し、関係者や参列者へお礼の品を準備し、またそれぞれ名前を忘れず記録するよう指示するなど、律儀(りちぎ)で礼儀正しい宗紀の人柄が偲ばれるエピソードなども残されています。
 この祝宴からわずか半年後、宗紀は同年11月にこの世を去りました。





 








 昨年、「いやし博2012」のイベントとして、公益財団法人伊達文化保存会の伊達修行が天赦園をメイン会場にして開催され、その一環として伊達博物館や財団使用のキャラクターコンテストをおこなったところ、30点あまりの応募がありました。
  その中から、一般の部で特別賞に輝いたキャラクター「ひでむにぇ」と「かみぇひみぇ」が、お子さんたちに、宇和島のれきしや宇和島藩のおとの様のことなど4コマでわかりやすく紹介してくれます。

 ※  なお、このキャラを考案された作者にはご好意で4コママンガを提供いただいており、キャラの使用権、著作権などの権利は作者に帰しますので、無断転載は禁じます。

4コマの右
ヒント:伊達博物館や天赦園に来てみれば分かるよ!!


写真提供:公益財団法人宇和島伊達文化保存会
4コマ漫画提供:オカザキヒトミ

2013年6月21日金曜日

博物館の庭を歩きました。

 台風が接近しているためか、昨日から雨が続いています。今年は空梅雨かと思っていましたが、やっと宇和島にも梅雨がきたのか?という感じです。今回も博物館の周りの様子をご紹介します。 

 国道56号線側から正門を入ると直ぐに庭(偕楽園跡)があり、宇和島伊達家8代伊達宗城侯の銅像があります。台座の碑名は伊達家12代当主伊達宗禮様、銘文は金剛山大隆寺飯田泰龍住職によるものです。





  


伊達宗城侯畧歴

 伊達宗城侯は、幕臣山口相模守直勝(第5代村候候の孫)の次男として文政元年(1818)8月江戸に生まれ、同12年(1829)3月伊達宗紀(第7代)の養子となり、弘化元年(1844)7月宗紀退隠の後を享けて宇和島藩第8代の藩主となりました。
嘉永元年高野長英を、同6年村田亮庵(後蔵六と改め更に大村益次郎と称す)を聘して蘭学の教授、翻訳、砲台の築造、軍艦の建造等 又洋式の砲術、仙術の研究をなさしめ、進取の藩主としてその英明を称揚せられ、松平春嶽 山内容堂 島津久光等大藩の諸侯に伍して天下の四賢候と称せられました。
 明治維新に際しては、枢機に参画して活躍し、明治元年(1868)5月参議に任ぜられ、明治2年民部卿兼大蔵卿、同3年には大蔵卿専任として國家財政の衝にあたり,明治4年(1871)條約締結の為欽差全権大臣として外務卿 柳原前光を帯同 清国に赴き大任を果たされました。
明治14年勲二等、明治22年勲一等、同23年には旭日大綬章を翌24年
勲功により嗣子宗徳(第9代)に侯爵を授けられ、明治25年(1892)特旨を以て従一位に叙せられて人臣最高の栄誉に浴し同月20日齢75東京今戸の自邸に薨ぜられました。
お墓は市内龍華山等覚寺にあります。         金剛山大隆寺 住職 飯田 泰龍  謹書
                                                     



5月頃は藤が満開でした。

偕楽園跡

 この庭は、江戸中期の縮景風池泉回遊式庭園の一部で、かつては豊富な、清流を取り込んだ、かなり大規模なものであったと推察されます。石組は、水蝕された砂岩を主役にし、橋など一部に緑泥片岩「伊予の青石」をあしらっております。このたびの復元では、やむをえず池を枯山水風にあらためましたが、年代を経た樹木の風格と石組のすぐれた技術が往時のすばらしさを偲ばせます。またこの庭には縁起のよい祝儀の庭「鶴亀」の形式が組入れられており、中島の亀島左後方の三尊石組等その面影が残されています。


 
博物館の駐車場側に松根東洋城の句碑があります。


    この句碑は松根東洋城、当市出身の書で松根邸址(当市御殿町)にあったものを遺族の希望によりここに移築したものです。松根家は羽前(今の山形県)よりうつった伊達家の家臣で由緒ある家柄ですが特に祖父松根図書は明治維新にあたり藩の執政として土佐の後藤象二郎等と共に大政奉還の王事に奔走した伊達藩の中心人物でした。
    東洋城は,夏目漱石を終生の師とし、はじめ俳誌「ホトトギス」によったが大正4年に「澁柿」を創刊、芭蕉の俳諧を尊び人間形成としての俳句の道を歩み定型派俳壇における貴重な存在として後進の指導に当りました。本名、豊次郎、京大卒、宮内省式部官、芸術院賞受賞、昭和39年(1964)10月28日東京において没す、  86歳

      島々や湾の外まで春の海 七十二叟
      わが祖先は奥の最上や天の川 東洋城
      三百餘歳家郷古東西存亡一碑孤
                             松根邸址



 先日訪ねた宇和島東高校にも松根東洋城の句碑があったことを思い出し、出前講義の折、写真を撮らせてもらいました。久しぶりに訪ねたグランドでは、野球部を始め多くの運動部の練習が行われており、活気に溢れていました。文武両道を実践している様子を見て頼もしく感じました。

2013年6月15日土曜日

「長寿、宗紀展 -長寿大名 100年を謳歌 -」 開催のお知らせ


  長寿大名として名の知られる宇和島伊達家7代藩主宗紀(むねただ)。100年(公式記録)という長い年月を生きる中、政治家として敏腕をふるう一方、趣味の世界でも遺憾なく才能を発揮しました。本展示会では、伊達家に伝来する宗紀所用の品やその人柄が偲ばれる品、また正室 観(みよ)姫の実家である佐賀鍋島家にちなむ華やかな品など、1世紀を生き抜いた長寿大名ゆかりの品を一挙に公開します。多数の皆様の来館をお待ちしております。

   展示期間: 平成25年6月21日(金)~12月25日(水)
   休 館 日 : 月曜日 ※月曜日が祝祭日の場合は月曜開館、火曜日休館
        展示替日: 平成25年6月18日(火)~20日(木)/12月26日(木)~28日(土)
            (上記期日は展示入れ替え作業のため臨時休館します。)
                  
  ※  期間中、特別展『 結(ゆい)の華(はな)-佐賀鍋島家と宇和島伊達家 の幕末・明治-』
  9月6日(金)~10月14日(月)開催による展示替えのため、9月3日(火)~5日(木)・10月16日(水)~18日(金)は臨時休館日。   
 ※  特別展期間中は展示内容が異なります。  
 

パンフレット表面
来館される方に「わかりやすい」「新しいもの」を展示していることが伝わるよう、展示名をつけています。

  今年前半の「武器・武具展」にかわって、宇和島伊達家第7代伊達宗紀(むねただ)候の業績に関する展示を行います。 天赦園(てんしゃえん)を作った大名として、また第8代伊達宗城(むねなり)候、第9代伊達宗徳(むねえ)候と続く、幕末の宇和島藩の名を全国にとどろかせた名君として知られています。

  
パンフレット裏面

    【写真】 宇和島伊達家7代藩主 宗紀肖像(公益財団法人宇和島伊達文化保存会蔵)
              宗紀百歳祝集合写真(公益財団法人宇和島伊達文化保存会蔵)
         扁額「楽春」(宗紀)筆 (公益財団法人宇和島伊達文化保存会蔵)

 
(展示内容について)
 第1展示室(宗紀と筆) 
  能筆家として知られる宗紀直筆の書や愛用の文房具類に加え、その精神世界を彷彿とさせる品を紹介します。
第2展示室(宗紀の春)
  正室観(みよ)姫の実家である佐賀鍋島家にちなむ華やかな品を紹介します。伊達家に伝来する鍋島家の家紋・杏葉紋(ぎょうようもん)の付された調度品や佐賀ゆかりの品など大名家ならではの婚礼調度品を中心とした展示です。
第3展示室(福寿、宗紀)
  宗紀の長寿祝いの品などを紹介します。明治22年に開かれた百歳祝いの様子、隠居後余生を過ごした天赦園の様子や宗紀自作による作品も併せて公開します。
 
  また、今回は第3展示室内において、修復作業を終えた「東海道五十三次蒔絵組盃」を特別公開します。現代の蒔絵職人による洗練された技巧の成果をご覧いただけます。

2013年6月12日水曜日

スーパーサイエンス講座 (3回目)を行いました。

 宇和島東高校でのスーパーサイエンス講座も3回目を迎えました。市教育委員会文化課の学芸員と、当館の学芸員が協力して講義を行っています。毎回、生徒諸君の反応をもとに創意工夫を加えて講座を続けてきました。

今回も城山を守る会の方にご協力いただきました。

素顔に戻って甲冑の説明をしていただきました。


 今回は、資料をもとに「学芸員の仕事」について取り上げました。学芸員の主な仕事として次の5つが上げられます。 
        ① 資料の収集  ② 資料の保存・管理  ③ 資料の調査・研究 
       ④ 資料の展示と公開  ⑤ 教育・普及活動

それらについて、博物館の役割、設備等の説明を交えながら講義を行いました。

資料の収集には寄託と寄贈があります。

資料の保存・管理には特に気を配ります。

空調・照度・防虫の3つです。

学芸員の専門性が求められる大切な仕事です。



展示公開に向けて企画から運営までこなします。

展示品をお借りするのも大切な仕事です。







今年度も小学生の見学が多いようです。

 このスーパーサイエンス講座も次回が最終回です。この講座をきっかけにして高校生諸君の郷土愛が深まることになれば幸いです。

 先日、ある方から「いつもこのブログを見ている。頑張るように・・・・」との励ましのお言葉をいただきました。一週間ごとの更新を心がけていますが、頑張って続けてまいりますので今後ともよろしくお願いいたします。

2013年6月5日水曜日

泰山木(タイサンボク)が咲いています。

「梅雨の晴れ間」といっても、今年の梅雨はまだあまり雨が降っていないような・・・?

   博物館の庭に出て見ました。いつも思うのですが、担当の方々の心配りでよく手入れが行き届いており、来館される方も季節の移り変わりを楽しんでおられます。先日から、タイサンボクが満開になっていました。先ほど見ると、残り少しになっていましたが、真っ白な大きな花は見応えがあります。 泰山木(タイサンボク・大山木とも書くようです。)について調べてみました。
 
  モクレン科の常緑高木。高さ約10メートル。北アメリカ南東部の原産。暖地で観賞用に栽培。葉は大形、革質で長楕円形、表面には光沢があり、裏面には茶褐色の毛が多い。初夏、白色で芳香のある6~12弁の大輪花を開く。果実は卵形。種子は赤色。漢名、洋玉蘭。(季・夏)





 博物館の玄関前に、芝不器男の句碑がありました。芝不器男については、北宇和郡松野町出身の俳人であることは知っていましたが、あまり詳しいことを知らなかったので調べてみました。この俳句は彼の代表作だそうです。

白藤や 揺りやみしかば うすみどり
        不器男





(以下、ウイキペデイアより)
  芝 不器男 (しば ふきお、1903年(明治36年)4月18日 -1930年(昭和5年)2月24日)は、俳人。本名は太宰不器男(結婚後)。
   愛媛県北宇和郡明治村(現・松野町)で生まれる。芝家の四男として父・来三郎、母・キチのあいだに生まれる。不器男の名は、論語の「子曰、君子不器」から命名された。1920年(大正9年)宇和島中学校を卒業し、松山高等学校に入学。
1923年(大正12年)東京帝国大学農学部林学科に入学。夏期休暇で愛媛に帰省中に関東大震災が起こり、以後、東京へは行かなかった。姉の誘いで長谷川零余子が主宰する「枯野」句会に出席し句作を始める。当初、号を芙樹雄または不狂としていた。1925年(大正14年)東京帝大を中退し、東北帝国大学工学部機械工学科に入学。兄の勧めで吉岡禅寺洞の主宰する「天の川」に投句。禅寺洞に勧められ、本名の不器男に改号。「天の川」で頭角を現し俳誌の巻頭を占めるようになる。
1926年(大正15年)「ホトトギス」にも投稿を始め、高浜虚子より名鑑賞を受け注目を浴びる。冬季休暇で帰省して以後は仙台に戻らず、1927年(昭和2年)東北帝大より授業料の滞納を理由に除籍処分を受ける。
1928年(昭和3年)伊予鉄道電気副社長・太宰孫九の長女・文江と結婚し太宰家の養嗣子となる。1929年(昭和4年)睾丸炎を発病し福岡市の九州帝国大学附属病院後藤外科に妻を伴い入院。この時に初めて禅寺洞と対面した。12月に退院し福岡市薬院庄に仮寓。俳人でもある主治医・横山白虹の治療を受ける。1930年(昭和5年)1月になると病状が悪化し、2月24日午前2時15分永眠、享年26。
1934年(昭和9年)、横山白虹によって限定300部の『不器男句集』が編まれ、175句が収められた。句風は古語を交えて、近代的な抒情味の中に幽艶を感じさせるもの。白虹は「彗星(コメット)の如く俳壇の空を通過した」と評した。
郷里の松野町では毎年命日に「不器男忌俳句大会」が開催されている。1988年(昭和63年)松野町が生家を改装し、「芝不器男記念館」が開館した。また、2002年(平成14年)生誕100年を記念して愛媛県文化振興財団により「芝不器男俳句新人賞」が設けられた。

代表句
永き日のにはとり柵を越えにけり
白藤や揺りやみしかばうすみどり
卒業の兄と来てゐる堤かな
一片のパセリ掃かるゝ暖炉かな(絶筆)    など。

作品集
『不器男句集』 横山白虹編、1934年
『定本芝不器男句集』 昭森社、1970年
『麦車-芝不器男句集』 飴山実編、ふらんす堂〈ふらんす堂文庫〉、1992年
参考文献 [編集]『芝不器男』 飴山実編著、蝸牛社〈蝸牛俳句文庫〉、1994年
『芝不器男研究』 岡田日郎編著、梅里書房、1997年