2013年4月24日水曜日

「出前授業2013」を始めます。


 伊達博物館では、平成20年度から、各小・中学校を訪れ、宇和島伊達文化に関する授業を行ってきました。この「出前授業」は、宇和島歴史文化研究会の発案で発足したものですが、今年度も「出前授業2013」と銘打ち、実施する予定です。

 これに先立ち、今年度「スーパー・サイエンス・ハイスクール」の研究指定を受けた宇和島東高校から依頼があり、学芸員が高校に出向いて出前講義を行いました。

 「リージョナルサイエンス講座Ⅰ(地域科学史講座)」と題して、宇和島地域の発展と共に歩んできた宇和島伊達家にまつわる文化財(伊達遺産)の学びを通して、宇和島の歴史や文化について理解や関心を深めることを目的としています。対象は高校1年生160名です。今回を1回目として4回計画しています。

 生徒達の学びが深まり、郷土宇和島を愛する心がはぐくまれることを願っています。



 
入門講座として、博物館の役割や学芸員の仕事について説明しました。




 
                  












                    熱心に講義を聴く高校生。講師もやりがいを感じたことでしょう。


2013年4月19日金曜日

おひな様の収蔵作業をしています。




先週まで開催していた「ひな人形展」が終わり、今は、おひな様の片付けの真っ最中です。
 今週は、学芸員総掛かりで、ひな人形の収蔵作業を行っています。下の写真は、大宮家から当館に寄贈いただいたひな人形をしまっているところです。このひな人形は丸平大木人形店5代目大木平蔵作のものです。五人囃子が手に持つ楽器類、琴などの調度類も、ほんとうに細かく正確に作られており、作業も神経を使います。

 来館される方から、「毎年、この人形展を楽しみにしていますよ。」とのお話を聞きました。ありがたいことです。


人形は顔が命。作業も慎重に!



五人囃子。どの人形も、かわいらしい表情をしています。



どの調度類も、細かな所まで正確に作られています。



 




どの人形が持っていた道具か、きちんと整理しなければなりません。

 


ひとつひとつ、丁寧に包んで決められた箱に収納します。



細かな調度類、琴の弦も正しく張られています。

 







2013年4月11日木曜日

「ひな人形展」終了、展示替えをしました。

 毎年、春に行っている「ひな人形展」(平成25年2月21日~4月7日)が終了しました。開催中はたくさんの方にご来館いただき、ありがとうございました。

 4月9日、10日の2日間、展示替えを行いました。期間中に館内を華やかに彩っていたひな人形を、丁寧に片付けて収蔵庫に納め、館内の模様替えを行いました。学芸員を中心に館内の職員総掛かりで取り組む大作業でした。


              細かい装飾具も、一つ一つ丁寧に包みます。



慎重に時間を掛け、心をこめて作業を行います。



来年の展示まで、ひな壇の木組みも一休みです。




次は太閤画像です!

 平成25年4月27日(土)~5月12日(日)には、「豊臣秀吉画像展」(特別展示)を開催します。この画像は現存する秀吉画像の中でも特に優れたものの一つで国の重要文化財に指定されています。歴史の教科書でおなじみの方も多いと思います。多数の方のご来館をお待ちしています。


2013年4月4日木曜日

大河ドラマを見るのが、また楽しみになりました。

  四月を迎え、伊達博物館も新しいスタッフを加えて新年度がスタートしました。博覧強記の前館長の後を引き継ぎ、ささやかながらこのブログも更新して参りますので、引き続きご愛顧のほどお願いいたします。

 先日、博物館の周辺を散策してみました。若かりし頃(隣の高校に通っていた頃)には気が付かなかったことを見つけました。博物館と天赦園グランドの間の道路沿いに、一本の柳の木と史跡案内板があります。

 毎週日曜日には、NHK大河ドラマ「八重の桜」を楽しみに視聴していますが、西郷隆盛が宇和島藩伊達家八代の宗城侯に会うため、宇和島に来ていたのですね。幕末の動乱期を取りあげた読み物等が好きな人間としては、うれしくなってしまいます。

 案内板には次のように書かれています。(宇和島市教育委員会の史跡案内から)

 伊達宗城 冠の柳


 文久3(1863)年、3月11日 孝明天皇の賀茂神社行幸に宇和島藩前藩主伊達宗城もお供した。宮中から賜った神社での食事には柳の小枝が添えられ、それを冠に挿した。宗城はこの小枝を持ち帰り、鉢植えにすると根付き、伊達家の庭園に植えた。後に親木が枯れたが、この柳はその親木の幼木を育てた二世である。



 宗城と西郷隆盛会見の場


  慶應3(1863)年2月23日、宗城に京都での四侯会議開催の協力を求めるため、薩摩藩士西郷隆盛が来宇し、翌24日に二人は会見した。現在では枯れてしまったが、ここはもともと伊達家の邸内で二人の会見当時には松の木が植わっていた場所でもあった。