2013年12月21日土曜日

平成26年前期展  江戸の狩野派展  開催のご案内

           平成26年前期展


 江戸の狩野派展 -宇和島伊達家伝来品を中心に-

        
   期間:平成26年1月4日(土)~6月15日(日) 

 




 宇和島伊達家には、日本絵画史上最大の画派であった狩野派の絵師たちの作品が多数伝来しています。今回の展示では江戸時代を中心に活躍した狩野派の絵師たちに関する資料をご紹介します。是非、この機会にご覧下さい。

 

第一展示  探幽と常信一絵画に見る両者の関係一

 狩野派の中で伊達家に多く伝来しているのが探幽と常信の絵画です。ここでは両者の関係がうかがえる絵画やゆかりの人物の資料をご紹介します。

 
第二展示  木挽町狩野家一伊達家との関係を中心に一

 狩野家はのちに木挽町に住まいがあったことから木挽町狩野といわれました。伊達家にも屏風を始めとした絵画や藩主が木挽町狩野の絵師に依頼して鑑定してもらった書画等が伝来しています。こちらでは伊達家と木挽町狩野の関係を中心とした資料をご紹介します。 
 

第三展示  世界文化遭産登録記念展  

富士山の魅力「藩主の和歌と記録、調度品から見た富士山一

 平成25626日、日本車政府が推薦した富士山がユネスコの世界遺産委員会において世界文化遺産に登録されました。これを記念して、伊達家に伝来する富士山に関連する資料を小展示します。
 

 第四展示 企画展「村候と信仰」

 5代藩主伊達村候は、宇和島藩歴代藩主の中でもとりわけ信仰に篤い人物でした。村候が遺した葬送関連や宗教関連の資料から、為政者である藩主とは違った一面をご紹介します。

 

  入館時間 午前9時~午後5時(受付終了16:30)

  開館日 月畔日但し月曜日が祝祭日の日は翌火曜日

  入館料 大人500円 大・高生400円 中学生以下無料

      団体(20名以上)並びに敬老手帳及び、身体障害者手帳をお持ちの方は

      大人400円 大・高生200円

  所在地 〒799-0061

  愛媛県宇和島市御殿町9番14号

    TEL(0895)22-7776

     FAX (0895)22-7819

交通アクセス

 JR宇和島駅より徒歩25分

 バス:津島方面行

 全ての品物の画像は公益財団法人宇和島伊達文化保存会に帰属します。

  期間中一部内容の変更もありますのでご了承下さい。
 
 
 

 
 

2013年12月20日金曜日

宇和島歴史文化研究会公開講座が開催されました。

12月8日(日)正午より、宇和島市生涯学習センター大ホールで、宇和島歴史文化研究会講座が開催されました。当日は会場に入りきれないほどの聴講者の皆さんが訪れていただきました。初めて一般公開される150年前の史料の公開や、幕末期研究の第1人者である近藤俊文氏の講演に熱心に耳を傾けていました。その様子をお知らせします。
 
 
 
会場である生涯学習センター3階の大ホールには、
数多くの貴重な資料が展示されました。
 
 
                              熱心に史料を閲覧する皆さん。                    
 
伊達宗城に宛てた都築莊藏の手紙(復命書)
 
  
 水野事務局長の開会宣言で講座がスタート。
 
 
 
宇和島歴史文化研究会赤松副会長のあいさつです。








 
 
              公益財団法人宇和島伊達文化保存会理事長
              伊達宗信様から祝辞をいただきました。

  
                    今回は「公開講座」ということで一般の聴講者も多く、
                    会場は熱気にあふれていました。

 
 
近藤俊文氏の講演 
演題「慶応三年伊達家文書からみた四侯会議・大政奉還・王政復古」

 
 
      2時間を超える講演もあっという間に終わってしまい、聴講された皆さん、
      もっと聞きたいという顔をされていました。
 
 
講座に参加して、多くのことを学びました。特に、幕末の動乱期において宇和島伊達家8代藩主伊達宗城公の果たした役割が実に大きかったことを改めて感じました。また都築莊藏、上甲貞一ら有能な家臣に恵まれていたことも知りました。都築莊藏については、明治時代に新聞記者、政治小説家として活躍した末広鉄腸の兄であることは知っていましたが、二条城での大政奉還賛成演説の様子を報告した全長10メートルもの史料を目にして、その迫力に驚きました。
 
 

(参考:当日配布された「展示史料解説」から)

「五月二十三日宗城公参内於公卿之間寄合 ”公の奮闘空し”」
 
摂政、議奏、武家伝奏衆、それに将軍慶喜、慶永、板倉らが居ならぶ公卿之間で、摂政九条斉敬の指名を受けて宗城公は発言、冒頭から慶喜と激突。宗城公は長州の寛大処分を先にして兵庫開港は後に回すべきと主張。慶喜は諸外国との約束期限があるので、開港と長州処分を同時に行いたいと主張。兵庫開港は諸公家の意見を聴いた後だと摂政が掣肘したので、慶喜と板倉が反発したが結論が出ない。慶喜は、政権を委任されている以上決定権は我にあり、我が決定に不満を抱くことは不道理だと主張。なんと摂政がそれに同意。宗城公反論。理屈としてはそうだが、不条理な決定をすれば天下一同が服従しないだろう、と脅かす。慶喜強弁、朝議として決定したのであるから、これは変更できない。宗城公反論、「不諫ノ天子ナシ」と言うではないか。正論は吐くべしと。追記には、政権委任である上は、兵庫開港を認めなければ、幕府は手を引くと恫喝した慶喜に、尹宮、鷹司父子が呼応して退場してしまった。そこで摂政はじめ大泣きに泣いた、とあるのだが、朝議は慶喜論に決定した。
 
 
「六(七?)月上甲貞一象次郎御政体変革之所見大意書取 ”象次郎の奉還論と西郷論” 」
 
大政奉還論を宗城公が上甲貞一にまとめさせたもの。幕府と薩越土豫が対立抗争して衰弱する日本を外国は窺っている。この国を救うには、幕府が関東の一大諸侯として天下の権を朝廷に返し、「王政復古」を実現するべきだ。具体論としては、天子が「政事堂」を開いて「天下の英才を選挙」して大政を委任する。いわゆる藩を基盤とする公議政体論であるが、その他には大学校と海軍場を設けるくらいで、具体性に欠け最初期の奉還論である。史料の最後の方が失われているので全貌は不明である。面白いのは象次郎の西郷論で、「兎角覇気を帯候議論に而動モスレハ兵力を仮(ママ)リ事ヲ成シ候」ような傾向があるが、西郷は奉還論に同意していて「必千戈を用ひ候料簡ハ聊かも無之候」とわざわざ注釈している。
 
 
「十月二十四日都築莊藏土藩建言並幕府形勢十月十五日迠次第書 ”都築莊藏の活躍”」
 
全長十メートルの京状報告書。後藤象二郎、西郷吉之助会見記も見所だが、十月十三日二条城での莊藏の大政奉還賛成演説が本命。無理矢理登城させられた莊藏は宗城公の指示ではなく、自発的意思で発言したことが判る。宗城公はこれを多として賞状を発している(本会場に展示)。
象次郎は、六月十七日の宗城公謁見で積極的支持が得られなかったこと、重役なども真剣に検討しなかったことから、宇藩に対する不満を募らせていた。十月六日の莊藏の象次郎との会見に同席して毛利恭助は、建白が容れられなければ「御兵力厭倒之志ヒ相見候」様子だった。象次郎自身も十月五日に、「寺村左膳帰藩同人帰着之上は御人数登京仕候」と発言していた。用兵建白は容堂が厳しく禁止したところだから、これらの発言の正確な意味は不明であるが、乾(板垣)退助が薩藩と武力倒幕を密約しているこの時、色々武力闘争の動きがあったのであろう。報告書の附録には、諸藩の戦備態勢が報告されている。建白が容れられそうにないので「十二而は坂本良馬も崎陽より上京、模様次第崎陽滞留兵隊(海援隊)召登候筈」、「浪華迠藝州強壮之兵二百計到着」とあり、長州兵も近日蒸気船で上阪。片や幕府は、十月十三日までに、加賀兵を大阪城警備に呼び寄せ、小浜藩その他の藩兵も動員していると報告している。西郷はじめ多くの者が、建白の採用はないと考えていたが、会津藩が方向転回して、政治改革路線に立ったので、象次郎建白を妨害しないであろうとの観測もあり、慶喜が建白を採用する可能性は高まっていたことが判る。

2013年11月28日木曜日

宇和島歴史文化研究会公開講座「慶応三年伊達家文書からみた四侯会議、大政奉還、王政復古」のお知らせ

 標記のテーマで、宇和島歴史文化研究会主催の公開講座が開催されます。

 幕末期研究の第一人者である近藤俊文先生の講演です。また公益財団法人宇和島伊達文化保存会のご協力を得て、初めて公開される貴重な資料も多数展示されます。この機会に、幕末から明治にかけて宇和島伊達家の果たした役割と、宇和島に残されている「ほんもの」に触れてみませんか。多数の皆様の参加をお待ち申しております。


  歴史のうわじま

           宇和島歴史文化研究会公開講座

  『慶応三年伊達家文書からみた四侯会議、太政奉還、王政復古』  

   ―開催のご案内―

 

1 開催日時  平成25年12月8日(日)正午~16

2 場  所  宇和島市生涯学習センター大ホール

   (宇和島市堀端通1番地25 宇和島市立図書館3階)

3 講座内容

        『慶応三年伊達家文書からみた四侯会議、大政奉還、王政復古』をテーマとする
  
          講演史料展示

 
       ・講 師  宇和島歴史文化研究会会長  近藤 俊文

 

4 日 程   (開場・開会) 1

 展示史料閲覧  12時~13時40

 講    演  13時50分~15時20

 展示史料閲覧  15時20分~16

  (閉会)   16

    *展示物はできるだけ講演の前に見ておいてください。

 

宇和島藩第八代藩主伊達宗城公が幕末・明治の激動する政局において重要な役割を果たしたことは広く知られており、伊達家には関連する史料が多数残されています。当研究会では、その一つでもある「宗城公御手留日記」を解読しながら、幕末の歴史を勉強しています。

 このたび、宇和島伊達文化保存会の特別のご配慮により、慶応三年時の史料が百五十年の時を経て初めて公開されることになりました。徳川・江戸幕府崩壊の過程が記述された書簡をはじめ貴重な文献等を間近くから見てもらうように展示します。

 この機会にぜひ多くの方にご参加いただきたくご案内します。

     (申し込み不要、参加費無料です。) 

    主  催      宇和島歴史文化研究会

       共  催  (公財)宇和島伊達文化保存会

                    宇和島市立伊達博物館

                    西南四国歴史文化研究会


   【連絡先】宇和島歴史文化研究会事務局水野(携帯09089706252

         宇和島市御殿町96号(伊達事務所内)

 *会場には駐車場がありませんので周辺の駐車場をご利用願います。




「慶応三年伊達家文書からみた四侯会議、大政奉還、王政復古」展示史料(予定) 

 1 慶応三年二月二十三・四日宗城公西郷對話留於宇和島

 2 慶応三年四月○日宗城公御手留

 3 慶応三年五月九日宗城公宛近衛忠房口述書簡

 4 慶応三年五月二十一日對翠賢兄宛島津久光書簡

 5 慶応三年五月宗城公、松平春嶽、島津久光宛板倉伊賀守書簡

 6 慶応三年五月二十二日宗城公宛板倉伊賀守達

 7 慶応三年五月二十三日宗城公参内於公卿之間寄合

 8 慶応三年五月二十六日兵庫開港防長御処置二関スル四藩伺書写

 9 慶応三年五月二十六日近衛忠房公直書

 10 慶応三年五月盡松平慶永書簡

 11 慶応三年六月三日松平慶永書簡

 12 慶応三年六月四日柳原光愛書簡別紙

 13 慶応三年六月十七日宗城公御手留

 14 慶応三年六月十七日上甲貞一土佐藩後藤象次郎御政体変革之所見大意書取

 15 慶応三年六月十七日島津久光書簡

 16 慶応三年六月十九日辻将曹書・藝紀州答案

 17 慶応三年七月朔日島津久光書簡

 18 慶応三年七月十四日後藤象次郎建議書ノ件二関シ上甲貞一復命書

 19 慶応三年八月林玖九十郎上書

 20 慶応三年十月十三日徳川慶喜大政奉還諮問書写

 21 慶応三年十月十五日朝廷大政奉還認許書写

 22 慶応三年十月二十四日都築荘蔵土藩建言並幕府形勢十月十五日迠次第書

 23 慶応三年十月十三日覚宝書簡

 24 慶応三年十月十六日中川宮会津密謀ノ件二関シ上甲貞一復命書

 25 慶応三年十月十七日上甲貞一西園寺雪江報知書

 26 慶応三年十一月十四日長岡護美書簡

 27 慶応三年十一月二十四日板倉伊賀守書簡

 28 慶応四年一月徳川慶喜御追討御沙汰書写

 29 慶応四年正月十八日五代友厚書簡

 30 その他

2013年11月21日木曜日

吉田藩の「御掛屋(おかけや)」について出前授業を行いました。

 
市内吉田小学校を訪ね、宇和島歴史文化研究会主催の出前授業を行いました。この日は、研究会から赤松・清家副会長、伊達博物館から館長、学芸員3人が参加しました。6年生40人の社会科の学習として、江戸時代に吉田藩の御用商人をつとめた両替商「御掛屋(おかけや)」であった佐川家に伝わる品物をもとに、ふるさと「よしだ」の歴史について学習しました。
 
 
吉田町出身の赤松副会長から、ふるさと吉田の歴史について説明を聞きました。伊予八藩といわれた時代、吉田藩は宇和島藩から分かれてできたことを知りました。
 


 昔の吉田は、アシ(葦)のはえ茂る泥田であり、埋め立てられて現在のようになったこと、「よしだ」という名前がそこからつけられたという説があることなどを学びました。



 江戸時代のお金の流通について学びました。金本位制、銀本位制など難しい言葉が出てきました。金は主に江戸中心、銀は西日本で流通していたということです。
 


  佐川家に伝わる様々な道具類を見学しました。両替商として使われていた様々な品物について、実際に目で見て、触れることができました。
 







 てんびんばかりや、小判、豆板銀などいろいろなお金がありました。金と銀の重さで両替が行われていたこと、現在の銀行のような仕事をしていたことを知りました。








様々な種類(重さ)の分銅があり、幕府によってきちんと検査が行われていたということです。





  歴史を偲ばせる大切な品々を自分の目で見ることができました。








 今日の出前授業について、吉田小学校のHPで早速取り上げていただきました。
 「吉田藩の起こりや御掛屋佐川家についてわかりやすく説明していただきました。江戸時代、オカケヤは、吉田藩の両替商だったそうです。実際に使用していた1両や豆板銀、てんびんばかりなども持ってきていただきました。普段、日常的に見聞きしているオカケヤの歴史を知ることができて、子どもたちは、”目から鱗” だったのではないかと思います。」  
http://ehm-yoshida-e.esnet.ed.jp/html/

 出前授業の終わりに、 児童から「今のオカケヤはホームセンターですが、今のようなオカケヤになったのはいつ頃ですか。」という質問がありました。通学路にあるおなじみの店の歴史について、疑問を持ったようでした。
  佐川家の言われるところでは、明治になって、今のようないろいろな日曜道具を扱うお店になったようです。廃藩置県のとき、オカケヤにあった両替商としての道具類をいったん政府にお返ししたそうですが、後日、国から「保管しておくように。」とのお達しがあり、以来佐川家に残されているとのことです。これら両替商としての道具類は、現在、伊達博物館に寄託いただいています。児童の貴重な学習の機会を与えていただいており、ありがたいことです。

 自分たちの生まれたふるさと「吉田」に伝わる歴史や伝統、文化について、さらに勉強して、大人になってもふるさとを誇れる人になってほしいと思います。ふるさとの貴重な文化遺産を展示していますので、ぜひ伊達博物館にも足を運んでください。

※吉田藩について
 慶長19年(1614)、伊達政宗の長男秀宗(ひでむね)が将軍秀忠より伊予国宇和郡10万石を与えられ、西国の伊達宇和島藩が始まった。(秀宗の宇和島入部は1615年。)明暦3年(1657)7月、3男宗利(むねとし)の襲封に際し、秀宗は5男宗純(むねずみ)に3万石を分地することとした。これが吉田藩の始まりである。宗純以後、宗保(むねやす)、村豊(むらとよ)、村信(むらのぶ)、村賢(むらやす)、村芳(むらよし)、宗翰(むねもと)、宗孝(むねみち)、宗敬(むねよし)と9代、214年間にわたって吉田藩が続いた。
 
 
 

2013年11月15日金曜日

秋本番!!

昨夜からの雨も上がり、心地よい秋空になりました。博物館周辺や、天赦園の秋を探しました。


博物館の隣り宇和島東高校の木々も色づいています。


銀杏の葉も鮮やかに色づきました。




柳の木や、楓も秋本番です。
 








かわいい菊が出迎えてくれました。
 
ツワブキが満開です。



池に映る秋の空が綺麗です。





天赦園周りの喧噪もここまでは聞こえません。


落ち着いたひとときを過ごしました。




ピラカンサスの実、食べたくなりました。



お城山も紅葉し始めています。

2013年11月3日日曜日

「香あそびを楽しもう」体験しました。

  特別展「結の華  ー佐賀鍋島家と宇和島伊達家の幕末・明治-」 開催中に関連イベントとし

て行われた「あつまれ DATEキッズ ~お殿様気分で茶室に座り、香あそびを楽しもう~」に参加

しました。はじめに博物館で展示中の香道具の説明を聞いた後、天赦園の茶室で、香りの記号を

デザインし、香あそびを体験しました。 当日は市内の小学校から、5年生児童、お母さんが参加し

ました。参加人数は少なかったですが、秋晴れの午後、優雅な「香」の世界を楽しみました。



展示中の香道具について学びました。
天赦園の茶室(潜淵館)にて


伝統的なお香の楽しみ方を知りました。

初めて体験する世界です。

講師は山中瑞穂先生です。

3種類のお香が用意されています。

真剣な表情でお香を「きく」。

3種類のお香の組み合わせを推理します。
器の灰の中には炭団(熱源?)が入っています。


熱の通る小さな穴を開け、雲母を乗せてその上にお香を。

初めて香の世界を体験しました。今回は初心者向けということで3種類のお香の組み合わせを楽しみましたが、遙か昔、政宗の時代には10種類ものお香を用いての香遊びだったそうです。今回初めての香遊び、残念ながら一度も当たりませんでしたが、よい経験ができました。



2013年10月24日木曜日

搬出作業を終え、九州へ。

特別展「結の華 ー佐賀鍋島家と宇和島伊達家の幕末・明治ー」が終了し、公益財団法人鍋島報效会樣ほかからお借りした大切な品物をお返しするための搬出作業を行いました。早朝6時から作業を開始し、1時間あまりの作業の後、午前7時半に九州に向けて出発しました。台風の接近が心配されましたが、無事に搬出・返却作業が終了しました。

作業開始した午前6時の城山です。


美術品を専門に輸送する美専車で運びます。

エアサスペンション搭載、庫内は完全装備です。

 


  
 






 
 


美術品の搬送には専門のトラックが使われます。美術品専門搬送車、略して「美専車」と言います。大切な美術品をウレタンや毛布でくるみ、固定して運送します。庫内は空調が完備されエアサスペンション(空気ばね)を利用して、美術品を守り、学芸員も同乗する特別席もある特別な車両です。作業に関わるスタッフは、収蔵庫からの作品の出し入れや開梱・梱包等も行う専門家集団です。展覧会の縁の下の力持ちです。


搬出品を慎重にチェックして、作業を続けます。



梱包した品を慎重に運びます。

















モルチール砲など重量のある品物が大変でした。
 


最終点検中です。

















 

しまなみ海道を経由して、九州に向けて出発。









搬出作業を終えた頃、すっかり明るくなった城山。