2012年2月23日木曜日

政宗と秀宗

えひめ南予いやし博2012 春期特別展

政宗と秀宗

政宗の長男として生まれた兵五郎(秀宗)は伊達家長男でありながら仙台藩の跡取りにはならなかった。その理由は定かではないが、わずか4才で秀吉の人質になり、元服後、豊臣家の猶子となり「豊臣秀宗」を名乗った。関ヶ原の合戦後、家康の天下となり、人質として家康のもとに行く。政宗の長男でありながら仙台藩の跡目相続は許されなかった。側室の子だからという方もいるが、家康が豊臣の残党の蜂起を警戒したからだろうと推測される。そして井伊直政の娘、亀姫との縁組みも家康の命令として執り行われる。政宗は長男でありながら仙台藩を嗣ぐことができなかった秀宗を心配し、本多正純宛てに家康への面会を求める書状を送る。この政宗直筆の書面が平成22年に高知城下で見つかった。それにより大坂冬の陣に参陣するため京都二条城にいた家康と政宗の会談が実現した。その後、天領となっていた宇和島(10万石)を頂き、宇和島藩伊達家を立て、秀宗は元和元年(1615年)に宇和島入りする。
政宗は数奇な運命を辿った秀宗のことが心配でならなかったと思う。秀吉にしても、家康にしても政宗を恐れたに違いない。そのため秀宗を甘やかし、大事に預かった。そのため宇和島藩伊達家10万石の大名としての戒めを「覚え」として書いている。また、仙台藩伊達家に伝わる宝物を秀宗の就任祝いに送っている。今回の展示では、その送られたものを中心として展示する。また、自分の家臣の中でも選りすぐりの武将を付けている。山家清兵衛、志賀右衛門、桜田玄蕃などそうそうたる家臣団である。その名も伊達57騎。(詳しくは御歴代事記により展示する。)
  

政宗見参!

今回の特別展は春期と秋期の2回に分けて行うことにしている。春は宇和島藩伊達家に伝わる政宗、仙台藩関係の物を中心とした。秋は仙台よりお借りして仙台藩伊達家と宇和島伊達家の結びつきを中心に据えることにしている。姉妹都市である仙台市のご厚意、また瑞巌寺博物館のご厚意で今まで宮城県より外に出たことのない「政宗の鉄黒塗り五枚胴具足」(国の重要文化財)、瑞巌寺のふすま絵」(国の重要文化財)、政宗倚像(いぞう)などを展示する。